野島樺乃、歌のはじまり
母性を感じさせるような温かみのある歌声が印象的だ。 第1回大会、当時17歳。まだSKE48で選抜にも選ばれたことがなかった彼女に、歌の女神は微笑んだ。初代歌姫の栄冠に「夢みたい」と目を輝かせた。第2回は不参加で、復帰した第3回大会は惜しくも準優勝だったが、歌という道を切り開いた運命に感謝した。 その第3回大会で応援に駆け付けたSKE48の大場美奈は「優勝してから輝いていて嬉しい」と印象を明かした。「近くで見てくれたメンバーがそう言ってくれた事が本当に嬉しかった」と語る野島にとって歌唱力決定戦は、自分を輝かせ、そして「本当の私を知る」機会を与えてくれた場所だ。 「『SKE48には歌える子がいるんだ』ということを知っていただけてグループにも貢献が出来たかなと思いました。その日のツイートも1万“いいね”がついて、あまり知られていなかった私がトレンド入りして不思議な感覚でした」 まだ第1回の開催が発表されていない頃、野島はもがいていた。歌のレッスンはSKE48に加入する前から受けていた。歌には自信があった。しかし、プロの壁に後ずさりする。 「厳しいこの世界で歌が上手い人はいっぱいいますし、プロとして見られることを考えたときに急に自信がなくなってしまって『特技とは言えないな…』と歌から一時、離れました。当時は、歌以外の特技もないので、何か見つけないと思ってバラエティに挑戦して、パンストも被ったし泥だらけにもなったし、いろいろやってみたけど、どれもしっくりこなくて迷走していました」 最終的に行き着いたのはやっぱり「歌」だった。「もう一度歌と向き合ってみようと基礎から学びました」 そんな彼女に歌の女神が手を差し伸べる。第1回大会の開催決定だ。「私には歌しかなかったので衝動的に出ることを決めました」 歌はもともと好きだ。 「物心が着いた時からです。お遊戯会でも歌うのが大好きでしたし、誰よりも張り切って本番を楽しんでいました。楽しい歌、悲しい歌、怒りの歌、ストレス発散の歌とかいろいろな歌がありますが『その時々の感情に合わせて歌えるのはいいな、音楽って楽しいな』って思っています」 好きだった歌うこと。壁にぶち当たり一度は離れるが、いまこうして歌い続けている。 「やっぱり歌っている時が本当の自分のように感じて自信を持てています。歌イコール本当の私みたいなものが自分の中にあって。それを気づかせてくれたのがこの大会です」 SKE48でソロライブを3度行った。女神はいろんなチャンスを与えてくれた。そしてSKE48を6月末で卒業する。卒業後はボーカルグループ「&」(アンド)として活動していくことも決まっている。 「いまは歌を失いたくないと思っています。歌は自分の体で表現するものなので、やめない限り、逃げない限り歌い続けられると思っています。なので、どんなことがあっても一生懸命歌い続けて、自分の武器にしていきたい。これから新しいボーカルグループに移っても私の歌が好き、私の歌を必要としてくださる方がいる環境を作れるように頑張りたいです」 そんな彼女にこう質問をぶつけてみた。 ――どんな人にも必ずチャンスが来ると思いますか? 「来ると思います。チャンスは色んな所に落ちていると思っていて、ただ、どれを拾うかを選んでいたり、拾ってもベストを尽くせていないとか、自信がないからと踏みとどまっている気がします。私もそうでした。でもそういうことも全て自分に返って来ると思うので、何事も一生懸命に頑張った方がいいですし、頑張りたいです」 女神は努力した者にしか微笑まない。 ここからは一問一答。
からの記事と詳細 ( 野島樺乃(SKE48)、本当の私を教えてくれた/AKB48G“ミューズ”の軌跡:Nona Diamonds(MusicVoice) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
https://ift.tt/3xMyhY5
No comments:
Post a Comment