「世界一貧しい大統領」として知られるウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカに迫ったドキュメンタリー作品『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』が、2020年10月2日(金)から劇場公開される。
ホセ・ムヒカは、左派ゲリラとして軍事独裁に反対して12年に渡り収監された後、下院議員を経て2010年に大統領に。貧困層やマイノリティの側に立った政策を推し進めると共に、大統領としての給料の9割を寄付して国民と同レベルの生活をするなど徹底的な清貧を貫いていることから、「世界でいちばん貧しい大統領」とも呼ばれていた。
今回はそんなムヒカさんに心酔し、フジテレビの社員という立場ながらドキュメンタリー映画を完成させた、田部井一真監督にお話を伺った。
※このインタビューは2020年3月に行われたものです。
語り尽くされた人物に唯一残されていた「日本とムヒカ」というテーマ
―なぜムヒカさんのドキュメンタリーを作ろうと考えたのでしょうか?
最初に彼に出会ったのは、2015年の2月。私が関わっているテレビ番組の中でインタビューを行ったんです。その後、ムヒカさんを日本に招聘して、その様子を記録して放送したのですが、出来上がったものに対してモヤモヤとした感情を抱えてしまった。たしかにテレビという媒体を使ってムヒカさんの存在を“広く”伝えることはできました。しかし私の力不足で、彼の人柄が“深く”は伝わらなかった。「質素な暮らしをしている大統領が良いことを言っている」という印象で終わってしまったように思います。本当に悔しかったですね。それで、2016年4月にムヒカさんが帰国した日に映画化を決心しました。
―なぜ「日本とムヒカ」というテーマを選ばれたのでしょうか。
番組の取材でムヒカさんとお話させていただいた時、彼はどういうわけか日本の歴史について詳しかったんです。ウルグアイから見れば、日本は地球の反対側にある国ですよね。そこで感じた「何故なんだろう」という素朴な疑問が出発点になっています。そして逆説的ではありますが、ホセ・ムヒカという人物を描くにあたって「日本とムヒカ」という視点しか残されていなかった。ご存知の通り、今まさに巨匠エミール・クストリッツァ監督によるムヒカさんのドキュメンタリー(『世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ』[2018年])が公開されていますし(苦笑)、過去にはドイツやスペインでも映画になっていますし、彼の母国ウルグアイでは無数のドキュメンタリーが作られています。Netflixではムヒカさんの12年間にわたる獄中生活を扱ったドラマ作品を観ることができる。文字通り、あらゆる切り口で語り尽くされてきた人物なんですね。しかし、唯一残されていた切り口があった。それが「日本とムヒカ」だったんです。「ここならオリジナリティが出せるな」と思いました。
―テレビ版とのテーマの違いを教えてください。
テレビでムヒカさんを扱った時のテーマは「日本人は幸せか」というものでした。ただ、僕としては「あまりに主語が大きすぎて難しい」と感じていたんです。日本人と言っても色々な方がいらっしゃいますから。だから、この作品は主語を小さくして「私というひとりの日本人がムヒカさんをどう見たか」という構造にしてみようと思いました。そして出来上がったものを日本で暮らす方々に見ていただいて、改めて自分を見つめ直すきっかけになればと。
投票率は毎回90%オーバー!?「映(ば)えない」 国の政治意識
―撮影で5度にわたってウルグアイを訪れたそうですが、一体どのような国なんでしょうか。
ウルグアイはブラジルとアルゼンチンの間に挟まれた小国です。人口も345万人と、静岡県と同じくらい。現代風に言うと、ちょっと失礼かもしれませんが「映(ば)えない」国ですね(苦笑)。 僕は旅行が好きで学生時代は南米大陸を回っていたんですが、唯一行ったことがない国でした。というのも、ブラジルやアルゼンチンに比べると、あまり派手な観光地がない。ただ、実際に何度も訪れると、実は全くそんなことはない。街中には非常に古い建物が残っていたりもする歴史ある国で、かつて「南米のスイス」とも呼ばれていました。文化も成熟していて、伝統に対する尊敬の念も強い。南米の中では比較的経済的に豊かで、治安に関しても周辺諸国に比べれば安定していますね。
―日本との違いで印象に残ったことがあれば教えてください。
民主主義に対する思いがすごく強いこと。やはり軍事独裁の時代を経験しているからでしょう。どこに行っても誰に話しかけても、しっかりと政治について語れるんですよ。そして投票が義務になっているという背景もあって、ほとんどの選挙でも投票率は90%を超えます。ムヒカさんも嘆いていましたが、日本の投票率は非常に低いですよね。
―たしかに作品に登場する日系ウルグアイ人の皆さんも、政治を非常に身近なものと捉えているように見えました。ところで彼らとは、どのように知り合ったのでしょうか。
(感慨深げに)これが本当に難しかったんですよ。というのもウルグアイにいる日系移民の方々は、ブラジルやアルゼンチンなど周辺の国から再移民されてきた方が多いんです。住んでいらっしゃる場所もバラバラ。ウルグアイの日系人をまとめて把握できる名簿というものが当時はない。そこで、まずは国会図書館で調べてみたんですが、使えそうな資料もなかなかない。日本から南米に渡った移民の年表を頼りに、なんとか探っていく形でしたね。そこからムヒカさんが過去に関わった花の市場で働いている方と出会ったり、駐日ウルグアイ大使館にも問い合わせました。
―日系人の方々は、ムヒカさんをどう捉えられているのでしょうか。
正直言って、全面的に愛されている感じではなかったです。というのも、ある日系人の方から、ムヒカさんが若い頃、日本人が経営する農園とトラブルを起こしたことがあったと聞きました。「母国である日本の映画には協力したいのだが、ムヒカについて話すのはちょっと……」とおっしゃる方もいました。実は今回出演してくださった方々も、そういった形で過去を捉えていらっしゃる方々でした。
―確かに言葉には出していないものの、どことなく距離を置いているように見えました。
残念ながら、撮影中にムヒカさん本人の口からその真偽について聞くことはできなかった。ですから、作品にも入れませんでした。映画をご覧になって「ムヒカのいい面ばかりで悪い面が見えない」とおっしゃる方が出てくるかもしれません。ですが、僕なりに誠意をもって撮影させていただいたつもりです。真偽がわからないことを突き止めるよりも、この作品で伝えたいことは別にありましたし、かつて日本人から学んだ花栽培の文化を守るために、ムヒカさんが今でも農園で花を育て続けていることに、心が動かされました。
実は裏表があるタイプ?「自分は矛盾に満ちた人間だ」と語るムヒカ
―作品の中で「ムヒカさんは二面性を持った人物」とおっしゃっていました。確かに彼は優しげな老人に見えますが、実は武装ゲリラだった過去があり、12年もの過酷な獄中生活を生き抜いたタフガイであり、おそらく自己演出に長けた政治家でもある。
ムヒカさんは「自分は矛盾に満ちた人間だ」と言っていました。自分自身の矛盾を受け入れて、楽しむというスタンスなんでしょう。実際「私はもう死ぬ」みたいな弱気なことを言ったかと思えば、次の瞬間には「まだやることがある」と力強く宣言したりもする(笑)。そしてカメラが回っていないところでは、パンフレットに使われているような優しい笑顔を浮かべることはそれほど多くない。特に政治や経済の話などをする時は、非常に厳しい表情をしていますね。当たり前のことなのですが、「やはり政治家なんだなあ」と実感する瞬間も多々ありました。
―二面性を使い分けている?
彼のことを「マスコミの前でだけ善人を演じている」と批判する人がいるのも事実です。ただ私の実感としては、狙ってやっているというよりは自然にやっている気がするんですよね。彼は「白と黒、右と左を振り子のように行き来しながら、螺旋階段を登るように状況を良くしていく」という哲学を持っているので、やっぱり根っからの政治家なんだと思います。
「過去を賛美するだけでなく、自分たちが歩いてきた道について考えて欲しい」
―来日時にムヒカさんが訪れた場所はどのように決めたものなのでしょうか。
ムヒカさんと妻であるルシアさんに、行きたい場所、やりたいことを伺いました。彼らの要望には大きく二つあって、一つは広島で、もう一つが「若者と対話したい」ということでした。あとは「日本の歴史に興味がある」「庶民的な場所にも行きたい」とのことだったので、そういった場所にもお連れしました。
―銀座では欧米人を起用したハイブランドの広告や商業施設の案内ロボットに対して、かなり厳しい視線を向けていました。
来日する前から常々言っていたのが「日本は、明治維新と敗戦という二度の文化的な断絶を経て、現在のような西欧化に覆い尽くされた大量消費社会に至った」ということ。その一端を目の当たりにしたのでしょうね。その一方で「日本のルーツをしっかり知ろう」という強い意気込みも感じられました。過去を慈しむだけではなく、「日本がどういう歴史を歩んできたのかを再確認したい」と考えているようでした。日本の現在と過去を見て、ウルグアイの歴史も大事にすべきだと感じているようにも見えました。
―原爆ドームを訪れたシーンで「人間は同じ石につまずく唯一の動物だ」という言葉がありました。人類の過ちに学ぼうということなんでしょうね。
僕は今36歳なのですが、正直言って日本の歴史や過去の記憶に対する理解がまだまだ浅かったなと思いました。自分に限らず、もっと若い世代の方も、そういったものに関心を持つモチベーションが薄れてきていると思うんです。例えば「明治維新150年」とは言いますが、明治維新がどのようなものであったのかを、あらためて考えてみる人は多くないと思います。でもウルグアイにいるムヒカさんは、日本の歴史について深く考えているんですよね。もちろん過去をひたすら賛美しろということではなくて、自分たちがどういう道を歩いてきたかをきちんと知るべきなのではないかと思います。
―東京外語大学の公演では、ムヒカさんのスピーチに感動して泣いている若者もいらっしゃいましたね。
あれは2016年の公演なんですが、僕としては感動していた方々が今どうされているかを知りたい。僕自身もそうだったんですが、ムヒカさんの話を聞いて「いい言葉だな」と思っても、そこから次の行動に移すことは結構、難しい。でも、どんなに小さな一歩でもいいから踏み出していてくれていたら、と思っています。僕はムヒカさんに感銘を受けて、この映画を作りました。「自分はこう思う」と言葉にするだけでもいい。「いい話」で終わらせず、行動に繋げていただければ嬉しいですね。
―監督はムヒカから、どのような影響を受けていますか?
ムヒカさんは「墓場に入る時には“自分の人生を生きたんだ”と言って死にたい」と言っているんです。その言葉は自分も背負いたいなと思っています。僕自身は会社員で、ムヒカさんのことばっかりやっていられない。通常の業務と並行して撮影していましたから、正直言って激務ではありましたね。ムヒカさんの考え方とは正反対なんですが(笑)。でも、これだけはやりきりたかったという思いがあったんです。自分が自分の人生を生きた証を少しでも残せたらと思いながら作った作品です。
―いま世界では新型コロナウイルスの蔓延によって、ムヒカが繰り返し警鐘を鳴らしてきた高度資本主義や、グローバル化の弱点があらわになっていますね。
新型コロナウイルスの影響を受けて、消費が冷え込み、世界中で経済がストップしています。我々が暮らす世界がグローバル化を前提に設計されていたこと、そして自分たちでコントロールしているつもりが、逆にコントロールされていたことを実感させられます。それはムヒカさんが言い続けてきたことで、普遍的な真理なのだと思います。この映画を制作するにあたって、2012年のリオでムヒカさんが行ったスピーチを何百回と見ました。あのスピーチは、たった9分弱です。映画を通してでもいいんですが、あらためて聞く価値があるんじゃないかなと思っています。
―最後に、この映画をどんな方々に観てもらいたいですか?
とにかく若い世代に観ていただきたいですね。ムヒカさんから預かった言葉を若い世代に伝えたい。ムヒカさんからも「映画が出来上がったことで、日本の若者と考えを共有できることを嬉しく思う」というメッセージをいただいています。……ただ、新型コロナウイルスのことがありますから。この先どのような展開になるかもわかりません……(かなり考えて)やはり、いまは簡単に「劇場に来てください」とは言えないです。でも、新型コロナウイルスによって世界が落ち込んでいる今だからこそ、立ち止まってムヒカさんの言葉を聞き返すと言う機会を持つことも必要だとも思うんです。きっと世界の見え方が新たになるはずです。
~インタビュー時には「自分の作品の宣伝をためらうとは、なんて奥ゆかしい人だろう」と感心したが、田部井監督の危惧は残念ながら的中し、当初2020年4月10日に予定されていた本作の公開は、新型コロナウイルス感染拡大の予防対策、観客の安全と健康を守ることを理由に大幅に延期されることになった。しかし約6ヶ月を経て、少なくとも感染拡大を防ぐための具体的方策は見えてきた。こうした状況の変化と上映を心待ちにする観客の声に後押しされる形で『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』が、2020年10月2日(金)より公開される。今こそ日本は、いや全ての人は、改めてムヒカの言葉に耳を傾けるべきだろう。そこにはウイルス禍によって大きく変わってしまった世界を生き抜くためのヒントが詰まっている。
『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』は2020年10月2日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開
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September 29, 2020 at 10:41PM
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あの元ウルグアイ大統領の本当の姿とは? 世界が混乱する今こそ見たい『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』の田部井監督に聞く - BANGER!!!(バンガー!!!)映画評論・情報サイト
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