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Sunday, June 7, 2020

「もう一度ウンギョンさんに会いたい…」横田滋さん“本当の願い”を封じたのは誰か(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

 5日午後、老衰のため87歳で亡くなった横田滋さんは、朴訥で腰の低い人だった。私も講演を何回か聞いている。 【写真】横田めぐみさんと娘のウンギョンさん、などこの記事の写真を見る(全5枚)  2014年のこと、私は神奈川県で開かれた拉致問題をテーマとした集会に講師として招かれた。滋さんと妻の早紀江さんが参加してくれ、直接言葉を交わした。  20代のころ、神奈川県川崎市川崎区に住んでいたと自己紹介すると、滋さんは「私の家の近くですよ」と笑顔で応じてくれた。  滋さんが死去した翌日の新聞には、滋さんを追悼する記事があふれていた。「めぐみさんを探し続けた」「娘に再会できないままの無念の死」……。「北朝鮮への怒りがこみ上げる」とコメントを寄せた人もいる。  もちろん、滋さん自身にも、無念さや怒りがあっただろう。

「目の玉を真ん中に寄せて、おどけてみせる」

 しかし滋さんは、めぐみさんのことを語る時、なぜか楽しそうに見えた。  滋さんは写真好きで知られる。家族の写真をよく撮っていたが、「カメラを向けると、めぐみは写させないように目の玉を真ん中に寄せて、おどけてみせるようなお茶目なところがあった。冗談も好きで人を楽しませてくれた」と語った。  この性格は、後に北朝鮮でめぐみさんと会った人の証言とも一致する。めぐみさんを語り、思い出を共有するのは、苛酷な現実を忘れることができる短い時間だったのだろう。滋さんの生きがいにもなっていたと思う。  そのため、どれだけ多忙になっても全国を講演で飛び回り、取材も受けてきたのではないか。早紀江さんも「言うことを聞いてくれない」とこぼすほどだった。  滋さんは講演会などで、しばしば日本政府や、支援団体である「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)の方針と違う発言をした。周囲からたしなめられることもあった。こういう発言は、なぜか報道されることはなかったが、いま考えると大切な内容を含んでいたと思える。いくつか紹介したい。

「拉致被害者にこだわらず、帰国できる人から帰国させるべきだ」

 私が記憶しているのは、冒頭に書いた2014年の神奈川での集会でのことだ。  この年の5月、日本と北朝鮮が合意に達した。交渉の開催場所だったスウェーデンのストックホルムにちなんで「ストックホルム合意」と呼ばれている。  北朝鮮は、「拉致問題は解決済み」としてきた立場を変え、「特別調査委員会」を設置し、拉致被害者を含む日本人行方不明者の全面的な再調査を行うと約束した。2002年に日朝首脳会談が行われ、拉致被害者5人の帰国が実現して以来の大きな動きだった。  これによって、北朝鮮に残留している日本人妻や、失踪者が帰国する可能性が高まった。日本政府は、拉致被害者の全員の帰国が先だと主張していたが、滋さんは「差別してはいけない。認定拉致被害者の優先帰国にこだわらず、帰国できる人から帰国させるべきだ」と語った。拉致被害者家族の象徴である滋さんが、こう率直に語ったことに驚いた。

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