災害がくると人々は理性を完全に失い、集団でパニックに陥る──。映画で描かれるそんな光景が、新型コロナウイルスでも起きるのではないかと想像する人もいるだろう。だが、大惨事に直面しても人々は社会性を保ち、本当の意味での「パニック」は起こらないことを、過去の研究は示している。
TEXT BY MATT SIMON
TRANSLATION BY MUTSUMI FUNAYAMA
ハリウッド映画のなかでは、人間は大災害に遭うと完全に理性を失っている。略奪に走ったり、互いに踏みつけ合ったりすることになっているのだ。しかし、そんな見方をすることは、わたしたちの脳をまったく信用していないも同然である。
大災害に見舞われると、人間は理性をすっかり失ってパニックに陥り、略奪に走ったり、互いに踏みつけ合ったりすると昔からよく言われている。ところが、大災害の際の人々の反応に関する最近の研究によると、現実にはそのような反応はむしろ珍しいことがわかってきた。
「パニック」という言葉の意味
新型コロナウイルスの感染拡大の影響を考えると、あなたもパニックに陥りそうな気がするかもしれない。家族や親戚が感染して病気になるのではないか。食糧不足になるのではないか。何週間も引きこもっていなければならないのか──。そう思っただけで、パニック状態になりそうな気がする人もいるだろう。しかし現実には、パニックに陥る可能性は少ないとわかっている。
「パニック行動とは頭が非常に混乱した状態で起きるものだと、古くから考えられてきました」とドレクセル大学で災害の研究をする歴史学者のスコット・ゲイブリエル・ノウルズは言う。「人々は恐怖にとらわれてしまい、まったく行動できなくなるか、決断すらできなくなるとされていたのです」
パニックとは、閉じ込められ孤立させられたという感覚、そして希望がないという感覚だ。本物のパニックは、脳のふたつの領域の間に起きる“対立”によって引き起こされる。そのひとつである扁桃体は、わたしたちの感情の中心にあって怖れと不安をつかさどり、「逃げろ」と命令する。例えば、捕食者に襲われたようなときだ。
これに対して行動をつかさどる前頭皮質は、その刺激をもっと処理したいと望む。こうしてさまざまな信号が交錯して、人はパニック状態に陥るのだ。
本当の「パニック」は起きていない
パニックという言葉を聞くと、何か危険なものから逃げている群集を想像するかもしれない。だが、それはパニックとは違う。
「『パニック』として描かれてきた状態は、実は本当のパニックではありません。それは生存本能です」と、デラウェア大学ディザスター・リサーチ・センターのサラ・デヤングは言う。「倒壊しつつあるビルから走って逃げたり、食べ物を漁ったりすることはパニックではありません。それはサヴァイヴァルの行動なのです」
人類が新型コロナウイルスと闘っているいま、本当の意味での「パニック」は起きていないし、起きそうにも見えない。世界のいたるところで人々は毅然としているだけでなく、希望を高めるような行動をとっている。
イタリアではマンションの住人たちが、窓の外に向かって一緒に歌っていた。世界中の医師や看護師たちは、他人の命を守るために自分たちの快適な生活を犠牲にしている。家から出られない米国人は、お気に入りのレストランがつぶれないように食券を事前購入し、隣人を助けるために行動を起こしている。
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結束するコミュニティ
パニックを起こした人々の状態の研究は、冷戦の暗い時代までさかのぼる。当時の米国政府は、大惨事の最中や前後の人々の行動を研究するために資金を出していたのだ。
「当時の考えでは、(大惨事が起きると)人々は舞い上がってわけがわからなくなったり、パニックになったり、ケンカしたり、略奪したりするとされていました」と、ドレクセル大学のノウルズは言う。
「当時は自国に向けてミサイルが発射されたという警報があれば、すぐに完全なカオス状態に陥ると思われていたのです。ところが、社会学者たちは何度も何度も研究を繰り返しても、こうした考えは完全に間違っているという結論に達しました。大惨事に直面しても人々は社会性を保ち、パニックにはなりません。人々は互いに助けあい、情報を得ようとするのです」
わたしたちは新型コロナウイルスの危機のさなかで、このような行動に現実に直面している。各地のコミュニティは結束し、連帯を強める仕組みをつくりあげている。そしてNPOや教育機関は、孤立している人たちに食事の配送を計画している。
「人々はオンラインで情報を共有しています。米国の13年間の義務教育に必要な授業を個人で臨時に提供したり、バレエや音楽のレッスンを実施したり、家族のためのさまざまな情報を共有したりしているのです」と、デラウェア大学のデヤングは言う。「このような立ち直りの力を示すポジティヴな事例に注目することが重要です。こうした事例は人々に希望を与えるだけでなく、人々を支援する仕組みを改善するための具体的なステップを示しています」
コミュニティをひとつにするきっかけとして、こうした危機の発生を望む人などいるはずはない。だが長い目で見れば、この危機は人々を支援する仕組みを強化していく役割を果たすことになるはずだ。
トランプの責任放棄と混乱
それにしても、このような試練のときに、なぜこれほどの「利他主義」が広がっているのだろうか? なぜ人々は自分の利益だけを考えたりしないのだろうか?
「人々が団結するのは、それが自分の利益になるからです」と、デヤングは言う。「人間は社会的な存在なのです」
近所のお年寄りに食べ物を届けることで、あなたは「いいことをした気持ち」になるだろう。なぜなら人間の脳は、ともに生き延びるために協力するようにできているからだ。
とはいえ、この大災害に対して地球全体が結束した“合唱”のようになっていないのは確かだろう。正直に言って、手を洗うことや家にとどまること以外にどうしたらいいのか、わたしたちはさっぱりわかっていない。
こうなったのも、トランプ政権がパンデミックに対して初期の段階でほとんどなんの対応もしなかったせいだと、ノウルズは考えている。初期の段階でトランプ大統領は、新型コロナウイルスのアウトブレイク(集団感染)についての懸念が、自分を政治的に妨害するためのつくり話だと発言した。
また、大統領はクルーズ船「グランド・プリンセス」の入港許可にも反対した。乗客のなかに感染者がおり、その人たちが上陸すると米国の感染者数が増えてしまうからだ。一方の連邦議会は、仕事を失った人たちを支援する救済法案を通すことに苦戦していた。
「トランプ大統領が危機発生時の対外的なメッセンジャーの役割を放棄したせいで、その責務を誰が果たすべきなのかが曖昧になりました。こうして生まれた不安が、政府から民間へと広がっていったのです」と、ノウルズは言う。「それがすっかり人々を混乱させました。それでも、そのせいでパニックが起きてはいません。怒りが広まっているのは確かですが」
個人がパニックにならないとは限らない
新型コロナウイルスの検査が必要になったら、どこに行けばいいのか? マスクや人工呼吸器を備蓄しておくべきだろうか? どちらも非常に重要な問題である。「こうした不明点のすべてが、初日から混乱を招いていました」とノウルズは言う。「正直に言って、いまだに混乱したままです」
しかし、人々は情報が欠如するなかでも決定を下し、この状況に耐えているのだとノウルズは言う。「2週間分の食料を備蓄するべきか? あるいはスーパーマーケットに行くことは危険だからやめるべきなのか? こうしたことも自分で決断しなくてはなりません。でも、だからといって、人々が駐車場でひっくり返ってヒステリーを起こしているわけではありませんよね」
どうやら大勢が集団でパニックに陥ることはなさそうだ。だからといって、個人がパニックに陥らないとは言い切れない。
高齢者や呼吸器疾患の既往歴がある人々はCOVID-19で重症化しやすいので、心配になるのも当然だろう。うつ症状のある人、不安障害を抱える人、PTSDに苦しむ人たちも、自宅隔離命令が出るとつらい思いをするかもしれない。不法移民たちは治療そのものを恐れるかもしれない。
在宅勤務が不可能な人たちは、仕事を失う可能性もある。3月17日の時点で、米国では5世帯に1世帯がパンデミックのせいで仕事を失っているという。
災害は不平等を顕在化する
さらに災害は、社会の不平等を悪化させる傾向があると、ノウルズは指摘する。「災害は下にダメージを与えます。災害は、何よりも効果的に社会の不平等をさらけ出します。こうして政治権力や資源から遠い人ほど、災害に立ち向かうことが難しくなるのが常なのです」
破壊的な災害の例が、米国で1,833人が犠牲になった2005年のハリケーン・カトリーナだ。ハリケーンがニューオーリンズ市に近づくと、富裕層は街から逃げた。一方で、貧困層、特に非白人の人々は取り残され、亡くなるか、日に日に環境が悪化する「ルイジアナ・スーパードーム」での避難生活を余儀なくされた。
ハリケーンの襲撃を生き延びた人たちは、食糧を探さねばならなかった。だが、黒人が食糧を探すと、メディアはそれを「略奪」とみなした。白人の場合は「探す」という表現だったのにもかかわらずだ。ハリケーンから2年が経った時点でも、ニューオーリンズでは約11,600人がホームレス状態のままだった。
高まる経済的な不安
しかし、新型コロナウイルスのパンデミックとハリケーンは違うとノウルズは言う。パンデミックは、時間をかけて広範囲に広がるものだからだ。しかも奇妙なことに、少なくとも初期段階の米国では、災害が不平等を拡大するというシナリオはひっくり返されていた。
「トランプ大統領本人が、新型コロナウイルスに晒されそうになった最初の米国人のひとりだったという事実は、実に興味深いものでした」と、ノウルズは言う。「また、スキーリゾートに滞在していた人々や、カンファレンスに出席していた人たちがウイルスに感染したり、感染しそうになったりしたことも非常に興味深いです。普通、大災害の危険に最初に晒されるのは、危険な場所に住んでいる人たちであり、そういう人たちは貧しいからこそ、そういう場所に住んでいるのですから」
とはいえ、新型コロナウイルスの危機が長期化すれば、それは必ず貧困層の重荷となる。「時給制や請負業務で働く人たちは、仕事を失ったときの財政的なセーフティーネットがないことを不安に思っています」と、デヤングは言う。「お金に関する緊張が高まれば、個人間の暴力も増えるかもしれません」
だが、恐れるのはやめよう
これまで米国では、連邦政府に比べて地方自治体や州政府のほうが、規則やガイダンスのかたちで対策をとろうとしてきたようだ。
例えば、カリフォルニア州知事のギャヴィン・ニューサムは、バーやレストランの休業要請という断固たる決定を早期に下した。3月17日には、サンフランシスコ・ベイエリア地区の6郡で厳しい自宅隔離命令が出され、少なくとも3週間にわたって700万人近い人々が自宅に留まる見込みとなっている。
トランプ大統領は全国中継された記者会見で、手が届くところにいるほとんどすべての人たちと握手していたが、全国の市長たちは人から距離をとるように市民に懇願していた(3月16日の記者会見では大統領も考えを改めたようで、10人を超える集まりを避けるよう指針を発表した)。
パンデミックの最悪の事態は、まだこれからかもしれない。だが、恐れるのはやめよう。誰でも心配にはなるだろうが、きっとパニックにはならないだろうから。
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