これまでにいくつもの宇宙探査機が、人類の期待を背負って宇宙空間へと送り出されてきました。
彼らは「科学のため」という大義名分のもとに、役目を終えると地球の遥か彼方で壮絶な最期を迎えます。そんな探査機たちが目にした最後の景色を振り返りましょう。
DART探査機が最後に見た小惑星の地表
NASAの二重小惑星進路変更実験(DART)探査機は初めから消える運命にありました。小惑星に体当たりするよう、開発者たちが設計していたからです。
2022年9月に任務完了したDARTミッションの目的は、万が一地球の脅威となる小惑星が現れたときに、その軌道を変えられるのかを確かめることでした。同探査機は、地球から680万マイル(約1100万km)離れた地点でディモルフォスという名の小さな(脅威ではない)小惑星と衝突し、見事にやってのけたのです。
上の画像はDARTが送ってきた完全な画像としては最後の1枚で、幅にして100フィート(31m)のディモルフォスの地表を、激突する約2秒前に捉えたもの。下はDARTからの最後の画像で、地球に転送されている最中にDARTが小惑星とぶつかったので不完全になっています。
科学者たちはのちに、小惑星の公転周期が32分短縮されたことを確認。目覚ましい成功です。
探査機「ルナ25号」が捉えた地球と月
ロシアの宇宙機関「ロスコスモス」の月探査機「ルナ25号」は、同国にとって47年ぶりの月探査ミッションでした。しかしルナ25号は着陸することなく、2023年8月19日に月面に激突してしまいます。着陸前の軌道へと移行するはずのマヌーバを実施したところ、探査機は月面にぶつかったのでした。
こちらは厳密には最後に撮影した画像ではありませんが、いずれも8月13日の同じタイミングで捉えた地球(左)と月(右)の写真です。
探査機「カッシーニ」を飲み込む寸前の土星
カッシーニは土星を13年間周回したのち、考えられる最も壮絶なやり方の1つで2017年に運用終了。NASAのエンジニアたちは探査機にそのまま土星に突入するよう指示したのです。
その活動期間中、カッシーニは土星の衛星の1つではメタンが水のように流れ、別の衛星では氷のプルーム(間欠泉)を宇宙に吹き上げているのを発見。また、土星の衛星の忘れられないほど美しい姿も捉えました。衛星のうち少なくともタイタンとエンケラドゥスの2つには、生命が存在する可能性があります。
その最後の日々、カッシーニは燃料が尽きつつあり、制御不能な探査機が貴重な衛星の1つに衝突して汚染してしまうリスクをNASAは冒したくなかったのです。NASAによると、土星の大気に突入したカッシーニはほんの数分のうちに燃え上がって分解した可能性が高いとのこと。
最後のミッションの間に取得していた別データとともに、探査機は画像も地球に送っていました。最後の写真は上のモノクロ画像で、落下してくるカッシーニを迎えるおぼろげな土星を、同探査機の視野いっぱいに捉えています。
画像の下側に見えるのは、土星の環。画像の上半分は土星の夜側を写しており、太陽を向いていないものの環に反射した光に照らされています。
火星探査機「オポチュニティ」が最後に見た光
カッシーニの最後の1枚が土星表面の明るい一帯を捉えていた一方で、NASAの探査車オポチュニティからの最後の眺めは火星の暗い空に浮かぶ光の点のみでした。 オポチュニティの観測期間は火星での任期14年目、2018年に激しい砂嵐でもって終わりを迎えました。
2点の画像からは、どちらもかすかに明るい点があること以外は大して見て取れません。この点は太陽で、Oppy(オッピー)の運命を決した全球規模の砂嵐によって、ほぼ遮られています。
水星探査機「メッセンジャー」のラストショット
周回機(オービター)は探査車(ローバー)と比べて衝突で幕を閉じる傾向にあります。カッシーニが土星の大気に飛び込んだのもスリリングでしたが、探査機がフルスピードで岩石惑星の地表にぶつかる際の音を想像してみてください。水星を周回した史上初の探査機、NASAのメッセンジャーはそんな最期を遂げました。太陽に最も近い惑星を4年間(元の予定より3年以上)周回し、ついには水星に正面衝突したのです。
2015年4月30日、メッセンジャーは クレーター「ジョカイ」の画像を送信。草分け的な探査機が送った最後の画像となりました。その日の遅く、シェイクスピア盆地の北に落下。シェイクスピアも誇りに思ったことでしょう。
探査機「ホイヘンス」が撮影した地球から最も遠い地表面
土星までカッシーニに積載された探査機「ホイヘンス」は、微生物の生命が存在するかもしれないと天体物理学者たちが考える、土星最大の衛星タイタンの大気中を降下していく任務を背負っていました。
2005年1月14日に行なわれたパラシュートを使った下降中、ホイヘンスはタイタンの大気、風、電磁波、化学組成を収集。ひとたび着陸すると(科学者たちは地表が液体か固体か確信がなかったものの後者でした)、異質な周囲の光景を撮影し始めたのです。
タイタンは今でも、人類が宇宙機を着陸させた最も遠方の地表面となっています。ホイヘンスは息を引き取る1時間前まで、この地点からデータを送信し続けました。
金星着陸船「ベネラ13号」が撮ったカラーパノラマ写真
このリストにある他のミッションより何十年も前に、ソビエト連邦はいくつもの探査機を金星に打ち上げました。ベネラ計画(ベネラはロシア語で「金星」)は1961年から1983年まで続き、数々の探査機、周回船、着陸船が関わっていました。そんな着陸船のうち4機(ベネラ9号、10号、13号と14号)が金星の地表面の画像を送信していましたが、ベネラ13号の画像は初のカラー写真だったのです。
金星の地表は摂氏約460度で、気圧は地球の何十倍にもなります。ベネラ13号がこの厳しい惑星で生き延びたのはたった2時間ほどでしたが、地球へとパノラマ画像を送信。そのうちの1枚はカラーでした。
大気の密度が高いため、黄色がかった景色になっています。そういった大気の影響を取り除いたバージョンの画像では、岩だらけで塵まみれな地帯が明らかに。画面中央には捨てられたレンズキャップと着陸船のリムが見えます。
NASAはマゼラン計画で金星にたどりついたものの、探査機は金星の地表には到達していません。1994年、同探査機は金星大気に突入し、燃え尽きています。
NASAが金星に送り込む2つのミッション、VERITAS(ヴェリタス)とDAVINCI+(ダヴィンチ・プラス)で、金星の荒れ果てた環境について理解を深められるかもしれません。
月探査機「ベレシート」が激突前に見た月面
2019年、イスラエルの月探査機ベレシートは降下中に不具合に見舞われ、軟着陸するための減速を行なえませんでした。そのため同探査機は月面に激突し、ミッションが始まる前に終わりを迎えたのです。
ベレシートミッションが成功していたら、月面着陸を果たした民間開発の探査機第1号となっていたことでしょう。今ではその栄誉はSpaceXのものになりそうですが、困難が立ちはだかったままです。
火星探査車「スピリット」が待つ場所
NASAの多くの火星探査車と同様に、スピリットも設計寿命を大幅に超えて運用され続けました。そしてスピリットがとうとう火星の環境に屈したきっかけは、非常に薄い大気や極寒な気温のせいではありませんでした。オポチュニティが直面したような激しい砂嵐でさえもなかったのです。
原因となったのは流砂のように作用した柔らかな土壌で、スピリットは2009年5月にその場で身動きが取れなくなり、2010年1月に静止した科学機器として再分類されました。
しかし探査車もとい静止した科学機器は、ソーラーパネルに十分に日が当たらない角度で立ち往生していたのです。2010年3月にスピリットは通信途絶し、それ以来音沙汰はありません。
最後のパノラマには終の住処となったクレーターが写っています。いつか人類が火星にたどり着いた暁には、スピリットを自由にしてあげられるかもしれません。
探査機「ボイジャー」が最後に見た地球
正確には活動を停止したわけではありませんが、ボイジャー1号&2号は太陽圏を脱して一方通行のミッションにあり、最後の画像は1990年に撮影しています。
上の画像が撮影されたのは1990年2月。地球から最も遠く離れた人工物であるボイジャー1号が太陽から37億マイル(約60億km)の地点にいて、その先の長い旅に向けて電力を節約するべくカメラの電源を切る34分前のことでした(同探査機は今も航行中で、現在は太陽から約241億kmの距離にいて、奇妙な現象を検出している模様)。
この画像はカール・セーガンの発案で、彼はボイジャー探査機の1つを地球の方向に振り返らせて、広大な宇宙の中で”ペイル・ブルー・ドット(淡く青い点)”としての自分たちの惑星を見せようとNASAに提案したのです。
この比類のない人類のポートレートはボイジャー1号がカメラの電源を切ってしまうわずか30分前に撮ったもの。その価値はあったのか?疑問の余地すらないでしょう。
Source: NASA Science(1, 2, 3,),
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