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Wednesday, April 15, 2020

「本当の歴史」 フォードRS200が開発されていた当時の内幕話 - マイナビニュース

「本当の歴史」│フォードRS200が開発されていた当時の内幕話

著名ライターのグレアム・ロブソンは、RS200が開発されていた当時、フォードのコンサルタントを務めていた。彼だからこそ知る、誕生にまつわる本当の歴史を語ってもらった。

RS200が誕生するまでの目まぐるしい日々を、私は生涯忘れないと思う。自分でデザインしたわけでもなければ、コンセプトづくりをしたわけでもなかったが、「やってみない?」という議論には最初からどっぷり関わらせてもらった。
 
1983年1月のとある金曜日の晩だった。愛犬のブルドッグは私に寄り添うように眠りにつき、私はスコッチ・ウィスキーを片手に暖炉の火を眺めながら寛いでいた。そのとき突如、電話が鳴った。夜中の10時に電話が鳴ることに困惑しながら応答してみると、フォードの広報部長、スチュアート・ターナーからだった。そして、彼と話しているうちに困惑は興奮へと変わった。
 
1975年からフォードで働いていたスチュアート・ターナーは、フォードのモータースポーツには直接的に関わっていなかった。それにもかかわらず、上司、同僚、そして彼のメンターでもあったウォルター・ヘイズから常に情報を得ており、モータースポーツ部門の動きを把握していた。電話に出るなり「この会話はなかったことに」というスチュアートの言葉に、胸の高まりを感じたのは当然のことだった。
 
フォードのモータースポーツ活動の過去、現在、未来のレクチャーは1時間を優に超えた。感銘を受けた私は翌日、きっちりと履歴書をしたため、スチュアート宛てに送っておいた。そのコピーは、今でも手元に残っている。

スチュワートからのメッセージは明確だった。フォードのモータースポーツ部門は今、転換期にある。ウォルター・ヘイズはカール・ルドヴィクセン(当時のフォード・モータースポーツの責任者、現フリーランス・ジャーナリスト)の後釜にスチュアートを据えようとしている。エスコートRS1700Tは終了させ、新しいグループBカーの投入が急務だ。

「今、スチュアートは周りのブレーンになりうる人たちに意見を聞いている。ちょっと話せないか。どう思う?⋯」という問いかけだった。
 
スチュアートとの電話が終わった頃には、私から提供できる考えはほぼすべて伝えきっていた。私の考えが、技術屋的思考回路をもつスチュワートにも充分、伝わったことに秘かなる喜びを覚えた。そして、3日以内にこの夜の会話で出たアイディアを紙にしたため、スチュアートの自宅に届ける約束をした。「会社ではなく、自宅に」だった。


 
スチュアートに伝えた私の考えは12項目あった。後に聞いたところによると、スチュアートが意見を聞いた誰もが「4WD」と回答したようで、私もご多聞に漏れず記していた。そのほか最低でも400bhp、通常の組立てライン外において200台の生産、スター・エンジニアによるコンセプト作りなどの必要性を訴えた。この書類を送ってから1週間後、また電話が鳴った。「新しいマシンに求められる項目は、概ね議論の余地がないと思う。新しいマシンは"B200"と呼ぶことにするよ、グループBマシンで200台限定生産だから。

ただ、ウォルター・ヘイズ以外の上層部にどれだけスペシャルなマシンに仕上げなければならないかということが伝わらない。もし、手元にランチア・ストラトスの写真があれば、送ってもらえないだろうか」という内容だった。私は写真だけでなく、『Autocar』誌が掲載していた透視図もスチュアート宛てに送った。ここから、スペシャルな車の開発が始まり、私の関与が深まっていった。

次回より時系列を追って動きを記してみよう。<続く>

本記事は「Octane」から提供を受けております。著作権は提供各社に帰属します。

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